あのころ白書〜胃弱編〜
時は西暦2007くらい、私は大学四回生であった。
二回の後期を丸々ネトゲに費やし一切大学に行かなかったしわ寄せをヒシヒシと感じ、半年伸びた卒業に向けて日々やりたくもない映像制作をやっていない重圧に耐えつつ、取り敢えず出席日数を稼ぎ、担当教諭にアポなし個人面談を強要し、選択授業で隣に座った全然知らない人から授業攻略法を入手するなどして、ガムシャラに単位もぎとり奮闘記を繰り返していた頃である。
そもそもからして、私は朝が弱い。
夜中が楽しくて就寝時間が遅いからだ。
それに加え、少々トンチキな故母からの精神攻撃や、忙しいっつってんだろ!!って口酸っぱく言っても週1逢えないとスネ散らかす年下彼氏をなだめすかす作業などで、毎日が白目であった。
余談だが、朝から3個レポートを書き上げ電車で学校とは逆方向の県境をまたいだ場所にある彼氏くんの家へ行き、来てあげたぞ!早く美術の教科書だせ!中学生の時のんでもエエから!はよ!話はそれからや!と脅し、次のレポートのネタを集め、家に帰り先程まとめた資料から更にレポートを書き上げ、そこから登校!提出!というスケジュールを1日でこなしたことがある。
我ながら素敵な彼女だったと言ってあげたい。
話を戻すが、そんな白目の毎日を送る私にいつもそっと寄り添ってくれていたもの、それが胃痛だ。
10代後半から隣り合わせの生活を送っていた胃痛さんが1番激しく暴れ出したのがこの頃であった。
夏は突然の胃の痙攣に耐えつつ、炎天下のアスファルトに何度も何度もうずくまりながら、脂汗を滲ませ徒歩10分圏内の内科病院に3倍近くの時間を要しながら辿り着き、採血、点滴。
冬は目覚めた瞬間から、いやわたしの体の中に唐辛子詰めたん誰!?とでも言いたくなるような激痛で暫く朦朧とし、コタツで温めて、好きなタレントが満面の笑みでお花畑をスキップしている姿を心に描くことで痛みを和らげ(わりと効く)、寝ていたままのツナギ姿にマフラーだけを巻きつけ登校。
食後は辺り構わず横になり、消化がそこそこ終わるまで動けないがデフォ。
徹夜明けの一限を目指す途中に胃薬による猛烈な眠気に襲われ、親友Uの住むマンションのロビーで意識を失いかけながら「私に…構わず…Uは行って…私はだめだ…。」
「ひ、ひじき(←アダ名)!いってきます!」
と今生の別れじみた会話を交わした事もある。
その時はUの部屋で夕方まで寝た。
というか胃薬の副作用が出そうな時間も計算して電車の中で少し寝るつもりだったのに、Uが出掛け間際に結構時間くってきて、ロビーから出る事なく眠気に襲われてしまったのであって、奴のスットコドッコイを舐めてはイケナイ…と心に刻んだ事件でもあった。
しかし我らはスットコ同盟。
私からの華麗なるスットコ返しも数多く許容してくれるU。
出席日数の足りなさに怯えながらも、化粧や身なりをばっちり整えイザ登校!といったタイミングで
「なんとなく、そろそろヒジキ学校くる頃かなと思って電話してんけど、今日休校やで。入試な。」
などと大変ありがたい情報を勘のみでくれるUは、大切なスットコ親友である。
このように、今思い返せば割と楽しそうだが、あのころの私にとって胃痛は1番身近な脅威であった。
胃痛→痙攣→もうだめ、となると体を動かすのも泣くほど痛いもので、救急で筋肉注射を打たれた時に「痛い痛いと噂の筋肉注射も、胃の痙攣に比べたら可愛いものだな…」と感じた事は、今でも鮮やかに思い出せる大きな発見である。
トンチキ母のトンチキマンション購入別居生活がスタートしてから徐々に頻度は減り、今や胃弱であったことも忘れそうなほど胃とは仲良くやっているが、どうも最近
ヤダ…懐かしい…。
とノスタルジックな気分と痙攣の恐怖に浸らせてくれる胃痛が低頻度ではあるが、やってくるので、
“歳には勝てないなー”と、思い出話をしてみた次第である。
そうこう言っているうちに痛みも無事引いたので、ひとつまた心に刻むことにしよう。
寿司すきだからといって、ドカ食いダメ絶対。